風化させない

3月10日の今日は『東京大空襲の日』から69年目である。

この大空襲を体験した方々は少なくなってき徐々に風化しつつある。

昨日の『たかじんのそこまで言って・・・』で、百田尚樹氏が言った話が印象的だった。

3月9日夜、アメリカ軍編隊が首都圏上空に飛来した。日本軍もその行動を探知し、日本標準時9日22時30分にはラジオ放送を中断、警戒警報を発令した。ところが、アメリカ軍機が従来の空襲とは異なった航路を採ったことから、日本軍は敵機が房総半島沖に退去したものと誤認し、警戒警報を解除してしまった。これにより生じた隙を突くように、3月10日に日付が変わった直後の0時7分、爆撃が開始された。325機の出撃機のうち279機が第一目標の東京市街地への爆撃が行われた。

この空襲で一夜にして、東京市街地の東半部、実に東京35区の3分の1以上の面積にあたる約41平方キロメートルを焼失した

民間団体や新聞社の調査では死亡・行方不明者は10万人以上と言われており、単独の空襲による犠牲者数は世界史上最大である。

しかもアメリカ軍はこの爆撃を行う前に日本家屋を再現した実験場を作り、大規模な延焼実験を行っている。
実験用に立てられた日本家屋は、室内の畳を日系人の多いハワイからわざわざ取り寄せて精巧に作り上げられた。
これらの実験がクラスター焼夷弾開発の参考とされたことにより、東京大空襲を初めとする日本本土への無差別爆撃で効果的被害を与えることに成功している。

もはや大量虐殺の確信犯的行動である。

これ以降も、日本側の産業基盤を破壊し、また戦意を挫くため、全国各地で空襲が行なわれ、その結果多くの一般市民が犠牲となった。
建前では軍施設や軍需産業に対する攻撃だが東京大空襲は東京そのものの殲滅を目的とする無差別爆撃で多数の非戦闘員たる民間人が犠牲になっており、戦争犯罪ではないかとの指摘も強い。(記事参照)

平和ボケせずこの悲惨な戦争の惨事を語り継げていかないと・・・。