本日1月13日は三河地震(1945年1月13日午前3時38分23秒発生)が三河湾を震源地としマグネチュード6.8(現在M7)の直下型地震があった。
死者1,180人(当時)行方不明者1,126人、負傷者3,866人。
規模が大きかったにも関わらず、被害報告はごく僅かしか残されていないし、現在に至ってもこの地震について詳しいことは判っていない。
しかし震源域の三河地域では、昭和東南海地震よりも多くの死者が記録されており、近年になって2,306人に修正されている。
発生した当時は太平洋戦争真っ只中で政府当局によって国民の戦意を低下させないことや軍需工場の被害を伏せるため地震発生の報道されたが被害規模やその後の状況などは多くが伏せられた。そのため各地域からの救援物資・救護団も無なかった。
さらに、地震直後の行政による組織的な救援活動が実施されたとの記録も残っていない。
おふくろがよく口にするのが、阪神淡路大震災・東日本大震災の報道を見て『救援活動や救援物資だなんだと騒ぐな、私達は三河大地震に加え戦争中で、空からB52の爆撃、下からは地震、火災で支援も救援も無かった・・・』
その話を聞くたびに政府当局の隠蔽体質や怠慢が度を超しているのがわかる。