メルマガ

朝からメチャメチャ北風が冷たく凍れる。
思考力の低下ではないが、辛坊さんのブログが配信されてきたので、
今日はまるごと『辛坊治郎メルマガ』一部を貼り付け(笑)

1.今週の時事ネタ

ちょいと真面目な話をしますけどね、世界を覆うこの「不寛容」は、ホント何
とかならんのかと思います。勿論、例の「イスラム国」を名乗る凶悪な犯罪者
集団の行状が、そんなことを考えるきっかけだったんですが、イスラム原理主
義に支配されたこの地域だけじゃなく、イスラム世界全体、そして日本でも、
特にインターネットが発達してからどんどん「不寛容」が社会の隅々まで広が
り始めてるように思うんです。

私、1978年に初めて飛行機に乗って南回りでパリに向かいました。大学3
年生の夏の事で、一浪してますから年齢は22になっていた筈です。私にとっ
てこれが初めての飛行機体験でもありました。ウチの一番上の「お嬢様」なん
か、生後4か月で飛行機に乗ってますから、時代は変わったもんです。初めて
乗った飛行機は、エジプト航空南回りのパリ行きで、4時間おきくらいに給油
で着陸し、カイロでは乗り換えのために8時間も空港で待たされ、合計28時
間かけてヨーロッパの土を踏んだんです。ちなみにチケットは、間口の狭いウ
ナギの寝床のような目白の骨とう品店の、さらにそのレジ横を間借りしてテー
ブル一つで商売していた「世界ケチ研」という格安航空券屋で買いました。当
時、格安航空券自体が闇の商品で、簡易な引換券のようなものを店頭で渡され、
チケットの実物は成田のカウンターで出国当日受け取るシステムだったんです
が、旅の当日まで本当に飛行機に乗れるのか結構ドキドキでした。翌々年にタ
イに出かけた時には、新宿の雑居ビルの一室で商売を始めたばかりの「秀・イ
ンターナショナル・サービス」でチケットを買いました。当時多くの東京の大
学構内に、手書きの「格安航空券、秀インター」というポスターがべたべたと
貼られていたものです。1970年代の後半って、個人経営の闇航空券屋が生
まれ、淘汰、収斂していく時代だったんですね。この二度目の海外旅行の際、
私がテーブル越しに直接お金を払った相手が「秀さん」で、後にこの会社は「
エイチ・アイ・エス」と名を変えます。あの時の「秀さん」こそ、エイチ・ア
イ・エスの創業者澤田秀雄氏です。今では「エイチ・アイ・エス」は「ハイエ
スト・インターナショナル・サービス」の略ってことになっていますが、元々
は「秀・インターナショナル・サービス」の略だったって訳です。

最初の旅は約三か月間、ヨーロッパからトルコ、北アフリカまで、ユースホス
テルや安宿などを使って旅費は全部で40万円ほどでしたが、そのうち航空券
代が約20万円、格安航空券と言っても今ほど安くなかったんです。その上エ
ジプト航空のボーイング707は真ん中の通路を挟んで両側に3席ずつあるだ
けのジェット機で、なんと自由席でした。最初に座った席のリクライニングが
壊れていていきなり背もたれが倒れて後ろにのけ反り、スチュワーデスにクレ
ームを言ったら、「他の乗客が乗ってこないうちに急いで他の席に移動しろ」
と言われたのをハッキリ覚えています。結局満席で飛び立ちましたから、あの
席に座った人は困ったでしょうねえ。覚えているといえば、今では全く感じな
くなりましたが、離陸の時の加速について、当時の旅日記には「凄いGだ。」
なんて書いてあります。こんなことで感動できるなんて、幸せな時代でした。

こんな調子で書いていたら、旅行記になってしまいます。本日のテーマは「不
寛容」です。このエジプト航空、アルコール飲料が無料で飲み放題でした。カ
イロから乗り込んだエジプト人は、缶ビールを水のようにお代わりして飲み続
け、イタリア上空あたりでついにゲロってしまいました。多分生まれて初めて
飲むアルコールで、加減が分からなかったんだと思います。今ではエジプト航
空でアルコールが出ることはありません。エジプト航空だけじゃなくて、イス
ラム教国の旅客機では、一部を除きアルコールが出ることはまずないはずです。
ちなみにカイロで乗り換え待ちをしている時に、エジプト航空の日本人パーサ
ーと知りあいになったんですが、この人ものすごく「チャライ」人で、「当分
飛行機出ないよ。まあアラブの国の航空会社は時間通りに飛ぶなんて思わない
方がいいけどね。今ね、アルコール飲料積もうかどうか迷ってるの。通常は積
むんだけどね、パーサーが『宗教上の理由で積めません』って拒否すると、積
まなくてもいい訳。アルコール積むとめんどくさいからさあ。この手使っちゃ
おうかなあ。」なんて話してくれました。実にいい加減です。何が言いたいか
と言うと、少なくとも35年前のイスラム教諸国は、何事においても今ほど不
寛容じゃなかったってことです。そりゃ当時から、サウジアラビアのような特
殊な国は結構原理主義的だった様ですが、それ以外のイスラム諸国ではレスト
ランで外国人が酒を飲むのは可能で、買おうと思えば合法的に町中で酒も手に
入ったんです。2002年にパキスタンに入った時、現地のコーディネーター
にいくつかレストランに連れて行ってもらったんですが、「少なくとも10年
前なら外国人は酒が飲めたよ。今じゃ、高級ホテルでも滅多に酒を出す事は無
くなった。」って言ってました。

飲酒厳禁に象徴されるイスラム全体の原理主義的傾向がいつごろから強まった
のかと言うと、これは間違いなく1979年のイランにおけるホメイニ革命で
しょう。イランはアラビア語を話すアラブの国ではありません。文字はアラビ
ア語と同じものを使いますが、言語学的には全く違ったペルシャ語を話す国家
です。宗教的にもサウジなどのスンニー派と違って、ほぼ全土がシーア派の大
国です。この国、パリに亡命していたアヤトラ・ホメイニが革命を起こすまで、
開明派の国王に率いられた世俗主義の色彩の強いイスラム教国だったんです。
当時この国は、欧米、特に日本との関係がとても良かったんですね。一時期上
野のアメ横あたりに何故か改造テレカを売るイラン人が大量にいましたが、日
本は長くイラン人に対して特別な地位を与えていたために、日本入国が他の国
の人に比べて簡単だったんです。ダルビッシュが生まれたのも実はそんな事情
です。

中東に生まれたイスラム原理主義の国は、周辺国のイスラム教徒に重大な思想
的影響を与え始めます。ちなみにこのホメイニ革命の際、朝日新聞などの反米
左翼色の強いメディアは、こぞって「アメリカの価値観や国王の圧政から国民
を解放した素晴らしい革命」と褒め称えました。その後、この国で凄まじい人
権侵害が繰り広げられたことを思えば、あの中国の文化革命時に犯した過ちを、
またもこれらのメディアがやってしまったことが分ります。ホントに学習しな
い人たちです。今回の人質事件に際して、「イスラム国を怒らせた安倍総理が
悪い」みたいなことを言っている人たちはこの系譜に位置します。そもそも犯
罪者集団の「イスラム国」を「イスラム諸国」と同一視するのは、イスラム教
徒全体に対する冒涜でしょう。

この1979年のイラン革命と時を同じくして、ソ連がイランの東隣のアフガ
ニスタンに侵攻します。ここから「ソ連のベトナム」と呼ばれる泥沼の戦いが
始まり、アフガンは25年に及ぶ戦乱の時を過ごすことになる訳ですが、この
戦争に中東各国から「無神論の共産主義からイスラムを守るため」に「イスラ
ム戦士」が馳せ参じます。その中に後にアフガンのタリバン政権の庇護の元、
アルカイーダを育てたビン・ラディンもいたんです。またアメリカは、ソ連が
アフガンを獲得してインド洋への通路を確保されたら困りますから、CIAが
裏で「イスラム戦士」を支援しました。この頃隣国イランのホメイニは、イギ
リス人の作家サルマン・ラシュディの作品「悪魔の詩」が神への冒涜だとして、
作者の死刑執行を全世界のイスラム教徒に求め、それに呼応して、この作家の
本を日本語に訳した筑波大学の助教授が首を切られて惨殺されています。19
88年の事です。犯人はいまだに捕まっていません。日本人がイスラム過激派
に首を切られたのは、後藤さんや、香田証生さんが最初じゃないんです。

こうして育てられたイスラム過激派が2001年にアメリカで旅客機を乗っ取
って貿易センタービルに突っ込むんですね。この時の犯人たちは、1990年
代、クリントン政権の頃に訓練を受けています。その後の事は、皆さんもよく
覚えているはずです。テロ組織「イスラム国」の源流について、ブッシュジュ
ニアが始めたアフガン戦争やイラク戦争から説き始める「識者」はインチキで
す。その人たちは単に伝統的な「反米左翼」思想に侵されているだけです。問
題の根っこはもっと深いんです。私は、アフガン戦争は国際法上完全に正当な
戦争だったと考えています。タリバン政権打倒についてアメリカに協力を求め
たのは、当時アフガンの国連議席を持っていた北部同盟でしたからね。ただ、
イラク戦争については、相当に無理があったと思います。アメリカのイラク進
撃は、従来の国際法の解釈からは違法でしょう。一応、国連の「制裁議決」と
いう形式上の合法化は計られましたけどね。こんなことが可能なら、もっと早
くに北朝鮮に戦争を仕掛けて崩壊させるべきでした。勿論、北朝鮮の後ろには
中国が居ますから、アメリカの軍事力をもってしてもそんなことは出来ません。

それはともかく、結局イスラム社会の不寛容の広がりは、ホメイニ革命後、こ
こ35年ほどの間に急速に進んだ話なんです。それが日本とどう関係があるの
か?そうなんです、今日は本当はそっちの話をしたかったんですが、原稿が長
くなり過ぎました。来週続けます。

以上

最後までお読みいただき、ありがとうございました。